ホークス史上最強の負けないエース斉藤和巳!

ダイエーソフトバンク投手斉藤和巳投手の紹介をしていきたいと思います!

 

 学生時代

斉藤投手は京都府出身です。小学1年生か野球をはじめ中学では硬式のボーイズリーグに入団したそうです。その後私立の南京都高校に入学しました。惜しくも高校時代甲子園に出場する事ができなかったが、高校ビック3といわれるほどの逸材でした。今でこそ栄養学の発展や科学トレーニングのおかげで大柄な選手がいるが当時は190センチを超える投手はなかなかいませんでした。その潜在能力の高さから福岡ダイエーホークスがドラフト1位指名しました。この時ダイエーホークスは暗黒期真っ只中でした。

プロ入り後

入団後はケガになやまされました。斉藤投手の肩はルーズショルダー(肩がぬけやすい症状)であり、ひどい時は肩があたっただけで亜脱臼になったりしたそうです。

そんな斉藤投手2000年から頭角を表します。プロ初先発初勝利に始まりそのシーズン5勝を上げる事ができました。しかしその翌年右肩痛が再発2シーズン結果がでませんでした。

しかし2003年大きく飛躍する事になります。この年なんと20勝します。この年の投手タイトルを総なめにした。その後2006年まで順調に成績を残すが2007年6勝で終わるとそのまま2013年まで登板することなく引退しました。非常に太く短いプロ野球人生だった。

ピッチングフォーム

プロ初勝利を上げた時は非常にゆっくりなオーバースローのフォームでした。

その後フォームを改造し20勝上げた年から左足を上げたとき顔をサード方向に向くフォームに改良しました。これは軸足で立つ時バランスを崩さないためにしているのだと思われます。またルール改正があり2段モーションが禁止になった時本人は「右利きを左利きにするぐらい難しい」といったが難なくフォーム改良をして成績を残しました。

球種

ストレート・スライダー・カーブ・フォーク

ストレートは150キロを超えスライダーカーブフォークすべてが一級品の球でした。カーブは非常にブレーキが利き緩急をつけるための変化球でした。またスライダーは基本決め球というよりは、カウントを取りに行くボールとして使っていました。そして斉藤投手の代名詞はフォークボールでした。フォークのスピードは140キロを超え高速フォークといわれていました。ほぼ三振を取りに行くときはこのフォークが多かったです。

制球力

斉藤投手は入団当初は非常にコントロールが悪かったです。しかし努力の末コントロールが大幅に改善されました。特にストレートのインロー、アウトローの制球力は素晴らしものがありました。

フィールディング

斉藤投手は大柄なわりに非常にフィールディングも非常に良かったです。

まとめ

斉藤投手はまさに平成を代表する名投手でした。しかしケガに泣かされ長く活躍する事ができませんでした。ただホークスファンの自分からすると彼ほどエースとゆう言葉が似合う投手はいません。非常に残念な引退でしたが今は解説などをされており、いつかまたホークスに戻ってきて投手コーチをやっていただきたいです!!